つくしんぼの歴史
ウチの歴史(?)は、これから障害児学童を始めようと考えている方々に読んで頂けているとしたら……何かしらのヒントにはなるのかも???

スタート前の紆余曲折……

 一人の母親(自閉症の息子は幼稚園の年長組)は、ふと思いました。
「ウチの市、障害を持つ未就学児童のための療育機関はあるけど、学童期児童のための施設はあるのかしら?」
 さっそく調べたのですが、なかなか見つかりません。
 母親はだんだん心配になってきました。
「就学したら放課後をどうしよう。友たちと遊ぶことが苦手な息子の場合、きっと家に閉じこもって一人きりの毎日になってしまう。そうなったら息子も私もストレス溜まるだろうし、何よりも息子の社会性がまったく育たなくなってしまうだろうし……」
 そんな漠然とした不安を、母親は父親に打ち明けました。だけど父親は消極的でした。
「しょうがないだろ。ないものはないんだから」
 それでも母親は、しつこくブツブツ愚痴り続けました。「ウチの子みたいな子どもでも、自由にのびのび遊べる場所が欲しい……」と。
 そして時が経つにつれて、母親の言葉はいつしか、「障害児が自由にのびのび遊べる場所を作りたい!!」 に変わり、「障害児学童を作りたい!!」 に変わっていきました。
 毎日聞かされている父親の方はたまりません。もう耳にタコが出来そうです。

 そんなある日のこと……。
「嫁サンがさ、障害児学童やりたいってうるさいんだけど……」
 父親は、偶然知り合いだった市の障害福祉課の職員に話をしてみました。
 その方から返ってきた言葉は、意外なものでした。
「じゃあ始めてみる? 始めるんだったら補助金出るように頑張ってみるけど……」
 ここのところ市内のあちこちから「障害児学童が欲しい」という声が上がっている、と言うのです。その声を受けて障害福祉課としても学童期の子どもたちのための施設を作っていかなければと考えていたところだ、と言うのです。ただ欲しいと言う親はいるけどやりたいと言う人間が出てこないからまったく進展がなかった、と言うのです。
 その日のうちに父親は、東京都に提出するための補助金申請用書類一式を受け取り、意気揚々と自宅へと戻ったのですが……。
 書類のデイケアに関する細かな要綱を読んで、夫婦はため息つきました。“最低でも通所人員として6名が必要”と書かれていたからです。通所予定者なんて今のところ自分たちの子ども1人しかいません。さらに困ったことには、書類の申請期限が1ヵ月後に迫っているという有様。これではまったくお話になりません。いくらなんでも準備期間が短すぎると、母親は早くも諦めムードです。
「でももったいないよなあ。せっかく補助金が貰えるかも知れないのになあ……」

 母親に代わって動き始めたのは、父親の方でした。
 まず障害児集め(?)のためのチラシをワープロで作成してみました。
 チラシが出来上がると、さっそく地元の小学校の校長先生に電話を入れました。
 校長先生は、以前に障害児学級を担当した経験もあり、障害児教育にかなり熱心な方でした。そのお陰で、父親との会話はかなり弾みました。特殊学級の生徒は、偶然にも全員で6人とのこと。
 校長先生からは、特殊学級の担任の先生と学級に通う6人の生徒たちのお母さん方を紹介して頂きました。
「この全員を引っ張り込めれば、早くも人数的にはクリアーだ……」
 思いきりセコいこと考えながら、父親はこれから始めたいと思っている障害児学童についての説明を始めました。
 ところが……お母さんたちは不審そうな目で父親を睨みつけてきます。そりゃそうでしょう。いきなりどこの誰だか分からないオヤジに招集かけられて「学童始めるから参加して欲しい」なんて唐突に営業されたわけですから。
「どこでやるの?」「何曜日にやるの?」「何時から何時までやるの?」「安心して子どもを預けられるの?」「職員はどんな人なの?」「専門家はいるの?」
 次々と飛び出す素朴な疑問や質問に対して、父親は汗みどろになって受け答えしました。が、どうにも要領を得ない……。そりゃそうです。父親は、障害児学童を始めたい、ということ以外、ほとんど何も決めてなかったのですから。

いざ、障害児学童は見切りスタート!!

 5月の半ば、6人のお母さんたちと言い出しっぺ夫婦が、築40年+αのあちこち床の抜けたあばら家に集合しました。半信半疑だったものの、お母さんたちにとって“障害児のための学童保育”という響きはかなり魅力的な言葉だったようです。
「このボロ家で学童を始めようと思ってるんですけど……」父親は済まなそうに言いました。
 この家は……実は父親の生家なのです。前年に別の土地に二世帯住宅を新築し、固定資産税対策のためにアパートを建てる計画のある土地の上にとりあえず残っていたボロ家なのです。「補助金貰って、ちゃんと固定資産税は払うから……」と親を拝み倒し、使用貸借契約を強引に結んだ今にも倒れそうな哀れな屋根のあるだけの小屋なのです。
 ま、このぐらいボロい方が、子どもたちがボロボロに壊してもOKだという長所もあったりするわけですけど……。
 以下、このお母さんたちの集まりで決定された内容です。
★“どうせ始めるんならとっとと始めよう”ということ。
 (補助金を貰うからには、少しでも実績を作っておくべきである)
★“施設の名前をフリースペースつくしんぼにする”ということ。
 (“つくし野”という町名にちなんでの安易な命名だったりする。“フリースペース”という名称を使ったのは、町田市の縦割り行政の弊害で、学童保育が教育委員会の管轄であるゆえに、障害福祉課の管轄となるであろう障害児施設が学童保育という名前を使うと紛らわくなってしまうための苦肉策であった)
★施設の代表者を、言い出しっぺの父親とする。
 (そしてこの父親が、このホームページの作者だったりするのは……もうバレちゃってることと思います。(^^;))

 翌週から、早くもつくしんぼは活動をスタートすることになりました。
6人ではなく……なんと12人の障害児たちとその親たちによる旅立ちでした。
 人数が一気に増えたのは、他の小学校の特殊学級の子どもたちや養護学校に通う子どもたちが口コミで集まって来たからです。障害児学童は、それだけ需要があったわけです。
 何かを始めるってことはかなりしんどい作業です。でも「何かを始めよう!!」といったん決めてしまうと、人間は結構元気になれたりするものだったりします。

 施設としての認可を貰い、補助金を貰うためには、やはりそれなりの実績が必要です。
 実績は……都に提出する書類に、数字として示さなければなりません。
 つくしんぼとしては、どうせ貰うのなら福祉デイサービス事業としての基準の一番上のランク(年間通所者のべ人数1050人以上)をクリアーしてしまおうと考えました。
 その目標に向かって、補助金を貰って指導員を雇えるまでの間は自分たちが頑張ろうと、お母さんたちは毎日毎放課後、月曜から土曜日まで、子どもを連れてつくしんぼにやって来ては、手を代えネタを代え顔色を代えて、子どもたちと楽しく遊ぶ活動を始めたわけです。

 活動開始1ヵ月後、つくしんぼでは他の施設に見習い、会報誌というものを発行することになりました。とにかく「つくしんぼという施設があるんだ!!」ということを多くの人に知って貰いたかったのと、子どもたちが遊ぶためのオモチャを寄付して貰いたかったのと、ボランティアを募集したかったのと、賛助会員を募集してお金を集めて施設の運営資金にあてたかったからです。
 会報誌の名前は「つくつく通信」としました。深い意味はありません。なんとなくです。
 B4版1枚片面(4号より表裏の両面)。発行部数1000枚。公民館・社会福祉協議会・ボランティアセンター・郵便局等々、置いて貰える場所には片っ端から置いて貰い、市長や市会議員全員に配り、出会った人には片っ端から手渡しまくりました。
 その宣伝効果の甲斐(?)あって、多くの方々から玩具等の寄付を頂き、ボランティアとして参加して頂けるようになりました。
 市の助役さんや福祉課の課長さんや何人もの市会議員さんが見学に来て下さったり、マスコミに取り上げられたりもしました。

 夏休みにはしっかりスケジュールを立て、お盆の期間の10日間を除いて毎日積極的に活動を続けました。とにかく補助金を早く欲しい!! その一途なる思いが、障害児のお母さんたちにパワーを与えてくれたのです。
 ところが……そんな私たちの耳に、それこそ寝耳に水のような噂が飛び込んできました。

「町田市は今後、新規の福祉施設を一切認めない!!」

 私たちが思わず口をポカ〜ンと開けてしまったことは、言うまでもありません。

補助金が貰えない!?

 噂の内容は、真実とは少し異なっていました。そりゃそうです。新規施設を今後一切認めないなんて公序良俗に反するようなこと、決定出来っこないのですから。
 正式な内容は、「町田市障害者福祉プランが完成するまで、新規施設の認可の一切を見送り、凍結する」というものでした。
 その結果、つくしんぼの補助金申請は呆気なく却下されました。つくしんぼだけではありません。同じ年に申請を行った他の4つの団体も同様の結果でした。特例は一切ありませんでした。

 それにしても、こんなことが許されるのでしょうか? 他の自治体でも国&都道府県の障害者基本計画を受けて福祉プラン作りを進められていたり、出来上がっていたりしています。でも、その作成期間中に新規施設を認めないなどと宣言している自治体などあるのでしょうか? なんだか市側の予算削減の口実の一つに利用してされているだけのような気がしてなりません。
 市の福祉プランが完成するのは2年も先の話です。
 ということは、少なくともあと2年以上の間、つくしんぼは福祉施設として認めて貰うことが出来ず、補助金を交付して貰える団体にもなれないわけです。
 いや、本当に2年待てば貰えるのだろうか? 厚生省の役人はロクなことしないし、補助金交付審査は日増しに厳しくなってきているし、景気が悪くて自治体の歳入は減少する一方だし……。もしかしたら、半永久的に補助金なんて貰えないんじゃないだろうか……。

 つくしんぼのお母さんたちは、すっかり元気を失ってしまいました。
 だって、今年1年頑張れば、来春から専任の職員を迎えることが出来ると思っていたのですから。それが出来なくて、しかも認可されるまで何年かかるか分からないなんて……。
 もしかしたら「骨折り損のくたびれ儲け」になってしまうのかも……。

 これまではつくしんぼの参加者から徴収している会費だけで、なんとか運営を続けてきましたが、今後はそうもいかなくなってしまいました。
 とにかくお金が必要なんです。翌年度には、1年間待って貰った家賃代わりの固定資産税分(約30万円)を支払わなければなりません。翌年度分の30万円も支払わなければなりません。でないと、つくしんぼつくしんぼの建物を使い続けることが出来ないのです。(親といえども、金勘定は別家庭なのですから)

 お母さんたちは、地域のお祭りに出店したり、バザーを開いたり、ハウスクリーニングを請け負ったり、内職をしたり……資金集めに奔走するようになりました。
 その一方では市長懇談にも出向き、「せめて施設分の固定資産税を免除して欲しい」とお願いしたりもしてみました。しかし事態に進展はまったくありません。
 自治体は今、本当は子どもたちの活動のために使いたいお金を、固定資産税としてむしり取ろうとしています。補助金は出さず、それでいて税金だけはしっかり持ち去って行く。どうやらそれが“日本の常識”らしいのです。

やるっきゃない!!

 それでも私たちは、つくしんぼの活動をやめませんでした。
 お金がない分を、私たちはノーテンキさでカバーしました。
 障害児の親はいつまでも落ち込んでなんかいられません。たとえカラ元気でも、元気を出していないとますます滅入ってしまう。だから出来るだけ楽しもう。
 やめるのは簡単なのです。でも、再スタートするのはとっても難しい……。

 そんな、マイペースの活動が1年半続きました。

 市の障害者プランは完成が近づいています。
 そして、いろいろな紆余曲折もありましたが、ついにつくしんぼにグッドニュースが舞い込んで来ました。

 そう、補助金が貰える!! という……。



 1998年4月、つくしんぼは、施設としての道のりを歩み始めました。
 そして今年、早いもので10年目を迎えました。
 10年も経つと、小さなグループが社会福祉法人に成長している、なんてケースもありますけど、つくしんぼはずーっと最初の頃のまんま。弱小のまんまです。
 自立支援法がどうなるかによって、東京都単独事業の制度が変わり、補助金を失ってしまう可能性もあります。
 そんなわけで、多分これからも行きあたりばったりのつくしんぼです。
 だって、何もかも分かっていたら、おもしろくないも〜ん。
 なんてったって、障害児の親になることだって知らなかった私たちなのですから……。

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